論文・寄稿
斉藤丑松マーチの特長について(抜粋)
著:高橋 誠一郎
斉藤丑松(旧姓、鹿倉)は、1929年に16歳で海軍軍楽隊に入隊し、ホルン担当となった。1932年より2年間東京音楽学校に学び、1933年頃より作曲を始め、1935年より作曲及び編曲のオーソリティとして、莫大な創作活動を行った。1945年、終戦までの作品数は、216曲に及ぶ驚異的なものだった。
作曲————76曲
行進曲46曲(大行進曲6曲)
ワルツ3曲
序曲1曲
意想曲4曲
接続曲2曲
歌曲20曲
編曲————140曲
全作品総数——216曲
約12年間に、これだけの創作量をこなしたのは、驚愕に値する。又、編曲のうち、マーチを管弦楽編曲したものが、11曲(自作9曲)ある。
更に歌曲を吹奏楽編曲したものが90曲あるが、これらには独創的なイントロ、間奏、中奏が付いており、曲としての完成度も非常に高く、「編作曲」と言ってもよいものが殆んどである。
斉藤丑松はこれらの莫大な創作を、天性の音楽才能と、不屈の精神で成し遂げたのだった。徹夜や不眠不休の創作活動も、常のことだった。
では次に、76曲の作品うち、代表曲を挙げてみる。今では忘れられているが、当時は広く国民に愛された“海軍の名曲”の数々である。
行進曲『空軍の威力』 ★ 1935年22歳
〃 『国民の意気』 〃 〃
〃 『怒涛を蹴って』 ★ 1937年24歳
〃 『足柄』 + 〃 〃
〃 『愛国』 ■ 〃 〃
歌曲 『海軍記念日を称うる歌』 1938年25歳
行進曲『南郷少佐』 ■ 〃 〃
〃 『軍艦旗』 ■ 〃 〃
大行進曲『建国』 〃 〃
行進曲『護れ海原』 + 1939年26歳
〃 『海南島』 ■ 〃 〃
〃 『太平洋』 ■ 〃 〃
大行進曲『伸びゆく電波』 〃 〃
大行進曲『大日本』 1939年26歳
行進曲『帝都の護り』 ■ 〃 〃
〃 『紀元二千六百年』 ■ 〃 〃
接続曲『興国日本』 〃 〃
行進曲『海を渡る荒鷲』 ■ 1940年27歳
歌曲 『海の歌』 〃 〃
行進曲『大政翼賛』 ■ 1941年28歳
㉑ 〃 『海の進軍』 + 1942年29歳
㉒ 〃 『揚子江』 〃 〃
㉓ 円舞曲『浜辺』 1944年31歳
㉔ 行進曲『国民義勇隊』 ■ 〃 〃
■はトリオに、他の作曲家の歌曲を盛り込んだマーチで、当時はこの制約が多かった。 ⑦ と ⑮ は、内藤隊長作曲の歌曲であり、 ⑤ と ⑧ は瀬戸口藤吉、 ⑱ は和真人(1919-1990年、『靖国神社の歌』で有名。)㉔は橋本国彦(1904-1949年)、 ⑫ は布施元(?-?)の国民歌『太平洋行進曲』である。
+はトリオで、自作の歌曲を盛り込んだ曲で、 ★ の2曲は、マーチ完成後、松島慶三(海軍大佐、「海の詩人」)がトリオに歌詞を付けた曲である。 作曲時の年齢は22歳~31歳であり、斉藤丑松の早熟、天才振りが窺える。
又、1939年はこのリストの8曲を加えて、全13曲の作曲、47曲の編曲、合計60曲の創作をしているが、正に超人的仕事振りと言えるだろう。
これらの斉藤丑松の作品は、SPレコードで、そしてコンサートや行進時に盛んに演奏され、“海軍軍楽隊作曲”の海軍名作マーチとして、人気を博したのだった。 一般国民や音楽界には、作曲者、斉藤丑松の名は全く無名だったが、海軍軍楽隊内部に於いては“鹿倉節”“シカクラ・マーチ”と呼ばれ愛されていた。
海軍軍楽隊には、行進時暗譜で演奏する「指定曲」が制定されていたが、その10曲の指定曲のうち、5曲は“シカクラ・マーチ”だった。( ⑤⑧⑩⑫ ㉑で、斉藤丑松はそのことを誇りにしていた)
では、次に”斉藤丑松マーチ”の特長について、具体的項目別に、考察してみよう。
【優れたメロディと構成】
東西古今の優れた作曲家に共通する最も基本的で重要ポイントだが、各国のマーチ王同様に、斉藤丑松は優れたメロディ・メーカーだった。
優美なメロディ、壮大なメロディ、勇壮なメロディが、それぞれ巧みに噛み合いながら、起承転結のマーチ構成を型づくっている。
因みに、楽曲構成の典型例を、スーザと較べると、次の通りなる。
<斉藤丑松マーチ>
In―A1―A2―B1―B2―Tr・In―Tr1―BS―Tr2
<スーザ・マーチ>
In―A―A―B―B―Tr1―BS1―Tr2―BS2―Tr3
斉藤丑松マーチでは、トリオの前に、トリオ・イントロ(Tr・In)が入り、トリオの中奏(B.S.)は一回のみとなっている。つまり、スーザのトリオより短い。そして、(後述の様に)逆にBは24~32小節と長くなっている。
スーザは、全てのクライマックスを最終のグランディオーソ(Tr³)に置いているが、斉藤丑松はグランディオーソ(Tr²)の前に、Bの後半部でもう一つのヤマ場を作っている。これは、明らかに、トリオに他人の歌曲を盛り込まざるを得なかった作曲条件下での、産物であろう。
【ハギレ良い軽快なリズム】
斉藤丑松マーチの大きな特長の一つで、快適感、爽快感、スマートさをもたらしている。 これは、斉藤丑松のメロディ自体がリズミカルなものであることに加えて、リズム・パート(ホルン、ベース、2nd/3rdトランペット)のしっかりしたオーケストレーション、後述のリズミカルなオブリガートによるものである。
又、16分音譜の【文字起こし不可】のリズミカル・メロディの採用も特長で、『空軍の威力』、『足柄』、『翔けよ勇士』、『軍艦旗』、『建国』、『護れ海原』、『海南島』、『紀元二千六百年』、『海を渡る荒鷲』など多用されている。(江口源吾の作風であり、その影響が大いに感じられる)
【主旋律と対旋律の絶妙なる融合・調和】
主旋律が軽快でリズミカルな曲調の場合(通常はAの全般、Bの前半部分であり、曲に依っては第1回目のトリオ)、大らかで壮大な曲調の対旋律が被せられる。この対旋律(Sax、Eup)は主旋律を際立たせると共に、中音域の豊饒感あるサウンドを創り出すことに貢献している。
又、A(第1マーチ)に対旋律を被せる場合、曲想に依り、A1とA2を通して用いる曲(行進曲『愛国』『護れ海原』)、A1は用いずA2からのみ用いる曲(行進曲『紀元二千六百年』、『帝都の護り』)と言う様にデリケートに使い分けている。
行進曲『軍艦旗』のBでは、軽快なメロディと、大らかなメロディとの2つのメロディが、共に主旋律であり、かつ対旋律であるが如く融合し、驚異的に優美な境地を構築するに至っている。
又、行進曲『太平洋』では、マーチ作品史上、類を見ない独創的対旋律技法を採用している。
前半の珍しい構成のA、B部で
<主旋律> In―A1―A2―A3―B1―A4―B2
<対旋律> (ア) (ア) (イ) (イ)
という様に、Aという主旋律に対して、(ア)と(イ)の2種類の対旋律を使い分けている。これは、太平洋の波の静けさから壮大さへの変化の見事な描写と言えるものである。
世界のマーチ王たちの中では、アルフォードとブランケンブルグが対旋律に卓越した作曲技法を持っていたが、斉藤丑松は“最高峰の対旋律の達人”だったと言っても、決して過言ではない。
【リズミック・オブリガート】
“オブリガートの達人”で知られるスーザは、トリオの2回目に於いて、主旋律を弱奏し、オブリガートをやや強く演奏していた。曲に依って、流麗(クラリネット、フルート)に、華麗(ピッコロ)に使い分け、オブリガート自体が対旋律であるかの如く、完結性を持っている。
斉藤丑松マーチのオブリガートの特長は、流麗なリズムを刻みながら主旋律を装飾している作風のものが多く、装飾効果とリズム効果を同時に兼ね備えているという点にある。
又、このリズミック・オブリガートの他に、大胆なピッコロのオブリガートで、華やかに曲を盛り上げている例もある。大行進曲『大日本』、行進曲『太平洋』のトリオ、国民歌『海の歌』でのピッコロの使用は、際立った効果を上げている。 斉藤丑松はまた、“オブリガートの達人”でもあったのだった。
【魅力的なイントロ】
東西古今の名作マーチは、いいイントロを持っているが、斉藤丑松マーチのそれは群を抜いている。メロディアスかつリズミカルで、強いインパクトを持っていた、斉藤丑松は生前、
「良いイントロで、まず人を魅きつけることが、マーチには重要なことだ」
と、語っていた。
斉藤丑松は更に、“イントロの達人”でもあったのだった。
【長い第二マーチ(B)】
通常の一般的マーチのBは、16小節の音節を持ち、トロンボーンの強奏で勇壮なメロディを奏でることが多い。(スーザは、B1を木管のみの弱奏、B2をトゥッティの強奏という、コントラストを付けた)
斉藤丑松マーチのBは28~32小節と長く、2部形式(16+16小節の2つのメロディ)、3部形式(8+8+8小節の3つのメロディ)のメロディを持っていることが多い。
2部形式の場合は、前半16小節がAの延長線上の軽快なメロディ、後半16小節がトロンボーンの強奏による勇壮なメロディという、コントラストを付けている。
これは項目1で既述の様に、トリオに他の作曲家の歌曲を盛り込むことを余儀なくされた斉藤丑松が、自作メロディのBの部分で、一ヶ所聴かせ所を作ったのだろうと思われる。つまり、作曲家、斉藤丑松の溢れ出る才知の成せる自己主張の表れではないか、と思われるのである。(それ故に、思慮深い斉藤丑松は、国を挙げてプロモートした歌曲を盛り込んだ、行進曲『愛国』では、Bをシンプルな単一メロディにして控え目に展開している)
【トリオのイントロ(Tr・In)】
海軍マーチの伝統的作風である。2小節~4小節の中に、印象的メロディ、間(ま)、クレッシェンド・デクレッシェンドなどが相俟って、独特の効果を上げている。 「トリオへの期待感を抱かせる様に留意した」と本人が語る、斉藤丑松マーチのそれは、“4小節の一楽曲”とも言える程の完結性を持っている。
行進曲『太平洋』、同『帝都の護り』、大行進曲『大日本』などのトリオ・イントロは、一度聴いたら忘れられない“名旋律”である。
【歌曲(トリオ)のマーチ化】
全ての曲のトリオが、他の作曲者の歌曲ではないが、この時代は、トリオでの歌曲のマーチ化という制約も多々あった時代である。
斉藤丑松は、トリオのメロディを最大限に活かしたマーチ化に成功していた。
尚、既述の様に、B. S (中奏)は一回のみであった。
そしてB. S. の曲調は、スーザの陰影効果、コントラスト効果を狙ったそれとは違って、2回目のトリオ(グランディオーソ)を盛り上げる助走効果を持った曲想が、特長になっている。
【楽器の特性を生かしたオーケストレーション】
斉藤丑松マーチは、曲想に従い個々の楽器の特性を生かしたオーケストレーションで作曲されている。その結果、軽快さ、大らかさ、力強さ、重厚さが見事に調和した斉藤丑松サウンドを形成している。
斉藤丑松のオーケストレーションの卓越さは、多くの編曲作品でも見うけられる。
それはあくまで理にかなった、基本に忠実なオーケストレーションであり、全体のバランスが知性的によくコントロールされているものである。
【シンバルの効果的アクセント】
今の吹奏楽界に於けるマーチ演奏では忘れ去られているが、往年のスーザ・バンド(1892-1931)同様に、斉藤丑松マーチでも要所要所でのシンバルのアクセントは、立体的効果を生み出している。
行進曲『太平洋』と同『軍艦旗』のBでの、ffのトロンボーンにかぶさる力強いシンバル・クラッシュと、行進曲『足柄』と同『海を渡る荒鷲』のグランディオーソ最終部の8分休符部に響く不思議なシンバル・クラッシュは、それだけでも一聴の価値あるものである。
斉藤丑松マーチのアクセントは、正にツボを心得ていた。
【曲調・作風について】
斉藤丑松マーチのうち、比較的力強さ、勇壮さが特色のマーチは初期の2曲、行進曲『空軍の威力』、『国民の意気』と、『太平洋』、『海の進軍』である。
軽快な感じのマーチは、行進曲『愛国』、『海南島』、『帝都の護り』である。
そして意外なことに、斉藤丑松マーチの最も特徴的曲調のマーチ群は、行進曲『軍艦旗』、『紀元二千六百年』、『護れ海原』、大行進曲『大日本』などのグループである。
これらのマーチに流れる曲調は、叙情感、懐古感、郷愁感と言った、優美な抒情味である。
斉藤丑松自身、最も好んでいた『護れ海原』、『大日本』には、童謡や唱歌の“うたごころ”に通じるものが感じられる。
童謡や唱歌は、今日の日本では余り聞かれなくなったが、明治~昭和中期までは、日本の近代歌曲としてよく歌われた。
そして、その童謡や唱歌の“うたごころ”は、故郷の自然の美しさを大切にしようという気持ちや、日本人のやさしい気持ちを大切にしたい、というものであるのは、皆様ご存知の通りである。
斉藤丑松は、童謡や唱歌をこよなく愛していた。 斉藤丑松マーチの曲調に、どこかほのかに感じられる“日本らしさ”は、音楽家、斉藤丑松の“うたごころ”が、滝廉太郎、岡野貞一、中山晋平、山田耕筰らのそれと、相通じるものがあるからではないだろうかと思えるのである。
斉藤丑松マーチの作風は、曲調とも関連しているのだが、知性的に抑制されているのが特長である。メロディに於いても、曲想に於いても、オーケストレーションに於いても、決して誇張したり過剰装飾をつけたりはせず、むしろ控え目によくコントロールされている。 それ故に、斉藤丑松マーチは、スマートで洗練された上品な品格を持っているのである。
以上、11項目に渡る斉藤丑松マーチの特長を考察してみたが、斉藤丑松はその天分と努力とに依って、形式美学の面でも精神美学の面でも、独自の“斉藤丑松マーチ”を築き上げた。
そして、その斉藤丑松マーチは、西洋各国のマーチ王たちの作品にも勝るとも劣らない完成度を備えた、“東洋の国――日本のマーチ”である。
これは、日本のマーチ史、音楽史上のみならず、世界のマーチ史上でも、称賛されるべき偉業である。
この章の最後に、私が斉藤丑松を日本のマーチ王とする根拠を、改めて挙げておこう。
1. 斉藤丑松マーチの完成度の高さ
2. 名作マーチの作品数
3. “日本のマーチ黄金時代”への貢献
4. 西洋諸国にまさるとも劣らない”日本のマーチ文化“の確立
以上4つの理由により、斉藤丑松こそが“日本のマーチ王”である、と私は考えるのである。