斉藤(旧姓:鹿倉)丑松は、大正元(1912)年茨城県に生まれ、海軍軍楽隊でホルン奏者の傍ら作曲家・編曲家として活動し、生涯で51曲の行進曲を書きあげました。編曲を含めると、生涯の作品数は293曲にのぼります。 日本らしい郷愁感と「うたごころ」豊かな旋律を行進曲に取り入れ、勇ましくも優美な名旋律を数多く遺し、日本の吹奏楽文化を世界的水準までに底上げした、まさに「日本のマーチ王」として顕彰すべき大作曲家です。 スーザ、アルフォードらに勝るとも劣らない「鹿倉節」の旋律は、歴史に埋もれながらも長く人々を魅了し続けています。
「鹿倉節」の秘密
斉藤丑松の生み出すマーチは、その高い完成度と独創性から、隊内で「鹿倉節(シカクラ・マーチ)」と呼ばれていました。本邦に吹奏楽が伝来してから80年足らずのうちに、鹿倉節がここまでの成熟度と完成度を備えたことは驚嘆すべき事実でしょう。
1939年作曲。艦隊の威容がありありと浮かぶ堂々とした旋律の中に、優美さと抒情味が見られる。優しく物憂げだったTrioは、最後の繰り返しで、勇壮かつ感動的な旋律へと様変わりする。鹿倉節の極致であり、ひとつの軍楽を超えた、日本的マーチの完成形といえる名曲。
1939年作曲。果てしなく雄大で、荒波高き太平洋を堂々と疾駆するような、意気高く勇壮な一曲。長い第2マーチの一番の聞き所であるトロンボーンとシンバルの強奏は、天を衝くような爽快さがある。曲全体を通して、中音域の対旋律が太平洋の雄大な印象を与えている。
1937年作曲。桜と富士の光景を彷彿させる独特で軽快な旋律から始まり、大行進を思わせる勇壮な低音中心の旋律に移る。国民的歌曲である瀬戸口藤吉の秀作を引き立てる役割を果たしながらも、マーチとして確固たる洗練された美を備えている。
斉藤丑松研究室
現在も有志によって続けられている斉藤丑松の研究。
残された手稿譜や当時の録音、そして研究者たちの論文を通じて、
日本の吹奏楽史における彼の偉大な功績を紐解きます。
著:高橋 誠一郎
「斉藤丑松はこれらの莫大な創作を、天性の音楽才能と、不屈の精神で成し遂げたのだった。徹夜や不眠不休の創作活動も、常のことだった。では次に、76曲の作品うち、代表曲を挙げてみる…」
研究室で論文の続きを読む※写真はイメージです。実際のサイトでは貴重な資料写真などを配置します。